古浄瑠璃が結ぶ縁ードナルド・キーンと三味線奏者・上原誠己

日本永住直前キーン氏を訪ねて(上原誠己)新潟日報

ドナルド・キーンさんは「日本永住」を目指して、9月1日に成田到着。その後、北区のお宅に移られたものの、取材や講演の依頼で電話が鳴り続けたそうです。実は、今回ニューヨークから東京までキーンさんをお連れしたのは、三味線奏者である上原誠己でした(私の従兄弟です)。彼は、「日本永住直前キーン氏を訪ねて」と題して、8月下旬新潟新聞に寄稿しています。ぜひご覧ください。

上原誠己は「古浄瑠璃のことをもっと知りたい」と、5年前キーンさんを訪問、それ以来、素晴らしい関係が続いています。大学時代に文楽の魅力に取りつかれ、「国立劇場文楽研究生第一期生」となり、卒業後は義太夫の三味線弾き「鶴澤浅造」として人形浄瑠璃文楽座に所属していました。しかし、四半世紀の舞台活動の後、家業(上原酒造、越後ビール)を手伝うため、新潟に帰郷しました。

その後は、市民歌舞伎「みなと座」で義太夫節の指導をしながら、弾き語りによる義太夫の名曲の演奏活動を続けています。2009年には、江戸時代の人形浄瑠璃を300年ぶりに復活させ、柏崎で市民とともに作り上げ、見事な舞台を見せてくれました。これもキーンさんのアドバイスがきっかけとなりました。残念ながら私は見に行けませんでしたが、米寿を迎えた母や夫は柏崎まで出かけていきました。そして、「市民と一緒に何かを作り上げていく熱意、迫力に圧倒され、大きなエネルギーをもらった」と感想を述べていました。

キーンさんは、きっと上原の浄瑠璃を愛する心、生活の中で仲間と一緒に語りついでいきたいという熱い思い、そうした真摯な生き様に「何か」を感じてくださったのでしょう。二人の距離はどんどん縮まっていきました。今、上原は新たな作業を心待ちにしています。10月末には「日本文学や日本文学を海外に紹介した重要拠点」だったキーン宅の膨大な書籍・書簡が日本に届くことになっているのですが、その整理やリスト化です。

18歳で「源氏物語」に出会ったのが、日本研究の始まりというキーンさんは、89歳で日本永住。彼の広く深い経験に裏打ちされたメッセージは、きっと日本の若者・日本社会に、いろいろな形で勇気と元気を与えてくれることでしょう。キーンさん、どうぞいつまでもお元気で!!

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