「教員養成課程6年制」導入への現場の疑問

 民主党は、教師の質をあげるために「教員になるには学部4年に加え、修士課程2年を必修として、6年コースとする」という「教員養成課程6年制」の導入を打ち出しました。私は、この案には到底賛成できません。もちろん教師の質の向上が重要であることは理解していますし、また、教師が大学院でさらに高いレベルの教育内容を学ぶことは望ましいことだと考えます。しかし、今、日本で起こっている「教育上の諸問題」を解決できる方法だとは思えないというのが反対の理由です。
 教育現場の荒廃・学力低下などの諸問題に対して「教師に問題がある。だから教師の質をあげることが重要課題だ」として、意見が展開されていきました。

・教師の質の低下が問題なのだから、教師の再教育を検討しよう
・再教育のために、10年ごとに教育免許更新制度を導入しよう
・その研修は30時間実施というものにしよう

<ところが政権交代で>
・教員免許更新制度は廃止して、新しい制度を作ろう
・教員免許更新制度の代わりに『修士号義務付け』制度を作ろう

 こうした動きを見ていて、「徹底した現状調査」「精緻な議論」「他国の制度の多面的な調査」などが行われているとはとても思えません。やっと始まった10年目研修ですが、政権が変わったとたん、「廃止」が決まりました。そこには十分な議論がなされた形跡はありません。もっと教育に関わるさまざまな分野の人々の意見を聞き、豊富なデータをもとにして議論を進めていくべきだと考えます。事は重大です。教育の失敗は、20年後、30年後の日本社会にじわじわと効いてくるのです。また、「その時、その場、その制度」に居合わせた生徒・学生の「その時」はもう二度と繰り返されることのない<かけがえのない時期>なのです。だからこそしっかりとした議論に基づいて、多くの人の賛同を得られる新制度を作ることが求められてきます。
 まず、「教員養成」を考える際に大切な点として以下の5点をあげたいと思います。

1.知識より「問題発見解決能力」養成を重視する
2.「なぜ?」を問い続ける教育を重視する
3.「伝え合う力」「自己表現力」「聴く力」を重視する
4.教える技術より教員の「人間力アップ」に力を入れる
5.学生同士の話し合い、協働作業をできるだけ取り入れる

 私は十数年、教育実習や交流授業で日本語学校を訪れる大勢の大学生と接してきました。そして、年々「自分自身で考えること」のできない大学生を見て、日本の教育の変化を肌で感じています。毎年、大学生のこんなコメントが残されます。

・人生でこれほど「モノを考えたこと」はなかった
・これまでこんなに「反省・内省」をしたことはなかった
・こんなに毎回「自分の意見」を求められたことはなかった
・これまで「自明のこと」としていたことを考え直そうと思ったことはなかった
・先生に「なぜ?」「それはどうして?」と「なぜ」を連発されたことはなかった

 もっと日本の教育は、小学校から大学までドラスティックに変えていく必要があると考えます。成功した「海外の事例」をつまみ食いして、制度を導入するようなことは決してあってはなりません。今回の新制度導入の裏側には、OECDの学習到達度調査で世界一と騒がれたフィンランドを意識しているように思えてなりません。

 フィンランドでは1978年に教員資格取得に修士号の取得が義務付けられました。そのフィンランドにおいて、教師の質の高さは有名であり、人々の尊敬を集めていると言います。日本からも視察団が押し寄せ、何かと言えば「フィンランドを見習おう」の掛け声が聞こえてきます。私もぜひフィンランドで行われている教育の「さまざまな特性」をしっかり理解して、日本式にアレンジしたものを採用してほしいと願っています。それは、「修士号取得義務化」といったうわべの動きではありません。

 ここでちょっと『教育立国フィンランド流 教師の育て方(増田ユリア著:2008年、岩波書店)』から、フィンランドの教育に関していくつかの特徴をあげてみることにします。

・就学前教育も基本は「遊び」の中にある
・集団の中で協調しながら自立できる子どもに育てる
・教師の研修への積極的な参加、他国との交流
・教育の底流に「トライ&エラー」の精神がある
・教科書も、教師一人ひとりに採択権がある

 制度だけ真似をしても、教育に携わる人々の考え方が変わらなければ、若者に過度の負担をかけ、「教えることが大好き/子どもと触れ合うことが好き」という「教師希望者」の若者が「教師になる道を選択する機会」をどんどん減らしていくことにつながるだけの新制度になってしまいます。

 また、大学生を見ていて思うのは、知識よりも問題発見解決能力の欠如です。自分が持っている知識を統合して「ある課題」を解決する力に欠けているのです。決められたことは何とかこなせるけれど、主体的・創造的に関われない人が多すぎるように思われます。それは、これまで日本がやってきた「決められたことに従って進む」という考え方、「正解は1つだ」という物の見方が大きく影響しています。修士課程を組み込む前に、こういった根本的な「教育の姿勢」を変える必要があるのではないでしょうか。
 学習者は一人一人顔が違うように、すべての学習者の学習スタイル・意欲・姿勢が違うのだということを教師はもっと学ぶ必要があるのですが、どうしても「全体」で捉えてしまいがちです。もちろん全体を見る目も重要なのですが、個々の学習者をしっかりと見つめ、その人固有の問題は何か、それをどう解決すればよいのか、といった姿勢が教師には求められてきます。
 そのためには何をすれば良いのか? それは、もっと異なる価値観を持った人々と出会い、触れ合い、語り合うことではないでしょうか。その1つが日本に暮らす定住外国人との交流です。自分がこれまで当たり前と思っていたこと、自明のことを問い直すきっかけを与えてくれる貴重な機会だと言えます。
 
 日本語学校での教育実習は、さまざまなメニューで構成されています。

・講義&グループワーク
・教材研究
・授業見学
・教壇実習
・教案作成
・教案検討
・チューター体験     
・ビジターセッション
・「日本語サロン」参加  
・教務事務体験

 それぞれにたっぷりと時間をとった「振り返りタイム」があり、実習生同士、日本語教師を交えてさまざまな議論が展開していきます。大学生たちはこれまでこういう授業形態はあまり経験がなく、「こんなに考えさせられたことは生まれて初めてでした!」という感想につながっていったのです。
 日本語学校では、世界各国・地域から集まってきた留学生・定住外国人が学んでいます。多様な物の見方、学習スタイル、教育制度、社会のしくみ……、まさに異文化交流の海の中で学んでいると言えます。そんな中で過ごした2週間は、大学生にさまざまな影響を与えていきます。徒(いたずら)に修学期間を延ばすのではなく、「真に教師に求められている力」が養える体験をみんなでしっかり考えていくことこそ大切なのだと思います。ここで、いくつか実習生の感想を抜粋してご紹介することにします。

○この2週間、「なぜ?」「どうして?」と考えることが多く、自分の意見をもつこと、それを、周りの人に発信していくことの大切さを感じました。今までこんなに「なぜ?」「どうして?」と考えることはありませんでした。
 けれど、このように考えることはとても大事なことなのだと実習を通して感じました。これからは、物事についてもっとよく考え、受け身ではなく、意見を相手に伝えていこうと思います。
  
○私は今までなんとなく聞いて話してあまり物事を考えずに生活していました。今回相手(留学生)が日本語を思うように使えないからこそ伝えたいという気持ちが強くありました。でも、それは普段誰と接するときも同じで、言いたいこと、自分の考えを日頃から伝えていかなくてはいけないなと思いました。
 また、自分の考えを持つには、物事に対して今までのように受け身ではなく毎回考える癖をつけなければならないなと思いました。
 イーストウエストではすごく意見を聞かれ、初めは緊張したし、とても嫌でした。でも授業見学をしていても、当たり前のように留学生はみんな発言をしていたし、なんといっても先生方が自分の意見を言い、また周りの人の意見を受け入れて、それに対して意見をおっしゃっていたので、「ここではどんな意見でも受け入れてくれる」ということがすごく感じられ、徐々に緊張も和らいでいきました。

○人生において大切なことを学べたというのは、「感じる、考える、それを言葉にする」ことです。恥ずかしながら私は今まで「なぜ!?」と考えたことがあまりありませんでした。学校で教えられたもの、先生に言われたことなど、それが当たり前で、なぜ!?と思うこともなかったです。この実習で、嶋田先生をはじめ、澤田先生、そのほかの先生も「どう思う?」といつも私の意見を求められていました。最初はなれなかったのですが、この実習中常に何かを考え、感じていたと思います。また、内に秘めるのではなく、発信していく重要性にも気づきました。私が言葉にして発信すれば、相手からレスポンスが返ってくる、そしてまた相手のレスポンスについて考える、また発信する……の繰り返しを通して、よいものが作れ、成長できると感じました。

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