中野の方々との触れ合い②~タウン誌『おこのみっくす』スタッフと~

22号(2012年7・8月)「中野の手みやげ」
22号(2012年7・8月)「中野の手みやげ」

中野区を活動拠点とする『生活共感アンケートマガジン おこのみっくす』とは、これまでいろいろな形でご一緒に活動をしてきました。

最初に出会ったのは、『おこのみっくす』創刊号が生まれた時でした(2009年)。その後3号で「イーストウエスト日本語学校の留学生が取材班と一緒に取材をする」という企画を頂きました。この時には、「おにぎり当てクイズ」も実施、留学生達もいろいろ良い体験をすることができました。

「留学生の取材班」という企画を頂いた時、私にはあるアイディアが湧いてきました。それは、『おこのみっくす』編集スタッフに「イーストウエストで編集者として特別講義をしていただく」という企画でした。「留学生が自分の将来を描く時の一つの選択肢として、実際に仕事をしている方の生の声を聞くのはとても参考になるので、よろしくお願いします!」と、一コマ授業をしていただきました。

3号(2010.3)2~3ページ

3号(2010.3)2~3ページ

スタッフの方は、その後ずっと毎月毎月、新たに発行された『おこのみっくす』を持って学校を訪ねてくださいました。そして、震災直後には、私自身の地震体験について語る機会を頂きました。それは、「人それぞれの坂道談義:人には、いてもたってもたまらない程に口惜しい過去があるそうな。なんだ坂・こんな坂・・・できれば一緒に超えたい3.11の坂」という特集ですが、私は「「震災で知ったご近所の温かさ」というタイトルで、ご近所から受けた当日の支援について書きました。http://nihongohiroba.com/?p=1394)。

3号(2010.3)4~5ページ

3号(2010.3)4~5ページ

そして今年3月私の身に突然起こった「イーストウエスト日本語学校退職」という出来事。私は、当時『おこのみっくす』スタッフに退職のことをお伝えする余裕がありませんでした。そんな私の非礼をお詫びする機会が訪れたのです。ある日スタッフの瀬戸さんから、こんなメールを頂きました。

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3号(2010.3)6~7ページ

3号(2010.3)6~7ページ

少し前に、嶋田先生がイーストウエスト日本語学校を退職されたことをWEBで知りました(「イーストウエストを去るということ」http://nihongohiroba.com/?p=2398)。ご挨拶ができず、とても残念だと編集部でも話をしておりました。

今回ご連絡させていただきましたのは、新井薬師梅照院の2/25縁が輪市で実施した「オリーブワークショップ」の第2回のお知らせです。もし嶋田先生のお時間がございましたら、説明をさせていただけないでしょうか。今週中にご都合が合いましたら、ご挨拶も兼ねて伺えればと思っております。

3号(2010.3)8~9ページ

3号(2010.3)8~9ページ

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アクラスをお訪ねくださった瀬戸さんとは、あれこれ胸の内をお話し、これからの夢についてもたっぷりお話しさせていただきました。「地域の活性化に役立つ仕事をしたい」「クリエイティブな仕事をしていきたい」という思いは、二人とも共通しています。すぐに意気投合して、あっという間に時間は流れていきました。

それからしばらくして、こんなご連絡がありました。「中野区内でおいしいおススメの手土産を紹介する企画があります。例えば、お世話になった人にさしあげるとか、最近会っていない友達に贈りたいとか・・・。どこかおススメのお店と商品を候補としてあげていただけませんか」というお誘いでした。中野在住・在勤の人に「中野にあるお店を紹介する企画」の取材を受けながら、「ああ、私も中野という地域に密着してお仕事しているんだなあ」と、改めて思いました。

3号(2010.3)21ページ「おにぎり中身当てクイズに挑戦!」

3号(2010.3)21ページ「おにぎり中身当てクイズに挑戦!」

これからもアクラスは、「生活感溢れるひと言から始まる地域着型のコミュニケーションサービス」を掲げる『おこのみっくす』と一緒に、地域社会に根ざし、地域とともに成長していきたいと思います。近い将来、「人と人とを繋ぐ」面白い「何か」を始めたいものです。日本社会の活性化は、こうした地元に根付いた小さな繋がりから始まるのではないでしょうか。

 

 

15号(2011.6)8ぺージ「震災で知った『ご近所の温かさ』」

15号(2011.6)8ぺージ「震災で知った『ご近所の温かさ』」

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